海鮮猫市場

何にもやってないだけじゃない?

【創作】アイデア不足は愛の不足?

お久しぶりです。今回は創作に関することを雑多に書いていきたいかと思います。

最近の話

突然ですが、最後に動画を投稿してからもう1か月半が経ちました。というか後1週間で2か月になりそうです()

色々と理由はあるのですが、動画編集自体はちまちまとやっています。ですが単純に最後まで動画を作ることができません。編集に凝って完成しないとかではなくて、単純に1本の話として終わりまでが頭の中に思い浮かばないのです。そんなこんなで中途半端な編集ファイルが3本ほど溜まってしまいました。

『愛』が足りない?

私が投稿している動画はVOICEROID*1を使っている訳ですが、ボイスロイドの動画は兄貴分の『ゆっくり』とは性質的には非常に似ているはずなのに、ゆっくりはどちらかというと作者のオリジナルとして扱われることが多いのに対し、ボイスロイドは『二次創作』として扱われることが非常に多いです(というかほぼ共通認識?)

ボイスロイドは公式設定がほぼないので、なんだか不思議な気がしますが、「キャラクター性が強い」ことがボイスロイドがゆっくりとは全く別の文化圏を築いている要因なので多分そうなんでしょう、知らんけど

で、二次創作の話になると必ず出てくるのが、作品に対する『愛』なわけですが、最近ふと、話が思いつかない、作品が完成しないのは私自身がボイスロイドという作品に対する愛が足りないからなんじゃないかと思い始めてきました。

ボイロ創作における『愛』とは?

そもそも二次創作と言ってもボイロには公式設定がほぼありません。界隈における共通認識というのは勿論ありますけど*2そこらへんはかなり寛容な界隈なので*3いくらでも好きに創作できる。いうなれば『ウチの〇〇が一番カワイイ!!!』タイプの創作ジャンルなのです。

さてそうなると、創作者に求められるのは如何に我が家のボイロ達を魅力的に『設定』するかなのですが、私はここで詰まっていると思います。はっきり言って私には『こう設定したい』というビジョンがない。これは元来の私の二次創作に対するスタンスが影響していると思います。

元々東方projectで活動していた時期があったのですが、その時から基本的に『公式設定準拠』『共通認識優先』で創作を行ってきました。具体的に言うと、

博麗霊夢というキャラは公式では(というよりは様々な公式供給の情報からそう解釈できるという形ではあるが)オンオフの切り替えがはっきりしており、オン(異変解決)は厳格で積極的かつ物怖じしない、オフ(日常)ではマイペースであまり動かないという描写がなされているわけだが*4自分が創作をする際にはそういった『霊夢像』に悪く言えば縛られてしまうのです。

さらに言えば、基本的に公式から提示された『キャラ像』を好きになるので、二次創作で妄想をする場合でもそのキャラ像から逸脱したような創作ができないのです。

公式がキャラクターを形作ってくれる作品ならそれでも全然困りません。表現の幅は狭まるかもしれないけれど、キャラの形は出来上がってるので道に迷うことはあんまりない。けれど、ボイスロイドのように『キャラ像自体の創作』を求められた場合は…?

はっきり言って難しすぎます。公式から供給されるキャラ像に依存していた人間が殆ど設定のないキャラの外側を投げられて「キミの好きなように改造していいよ」と言われても何も思い浮かびません。かろうじて出来上がったのは、既存IPのキャラとは似ても似つかないすっからかんの何かという訳です。

相性が悪い?

ボイスロイドはある意味キャラクリの自由度が醍醐味のジャンルなんじゃないかと思います。1から世界観を作るのが好きな人にとっては非常に優秀な下地になってくれる。逆に世界観を作るのが苦手またはそこまで興味がない人にとっては手に余ってしまうのではないかとも。私はどちらかというと後者なので自分で自分だけのボイロを作りだすことに非常に苦慮しています。

そもそも魅力的なキャラ作りは非常に難易度が高い

そもそもの話として、キャラクターを作りこむのってとても難しいことだと思います。技術がないとすっからかんで薄っぺらいキャラになってしまいます。私の作品に共通して登場するボイスロイドに「琴葉葵」がいます。彼女は我が家のボイロの中で唯一特徴と言える特徴を設定していますが*5、それが有効に働いているかというと…正直疑問符を浮かべざるをえないです。彼女が三白眼である理由や、ガキっぽい性格な理由など特に考えられていません。ただなんとなく他とは違う、目立つ、そんな薄い理由付けでしかないのです。物語の登場人物としてはあまりにも物足りないです。

そもそも「琴葉葵」というキャラを本当に好きで「魅力的に演出したい!」と考えればそういった安直な考えは浮かんでこないんじゃないか?と自問し始めています。他のキャラ達に大した特徴がないのも、「こう魅せたい」というビジョンがないからなのではないかと…。

結論

・ボイスロイドは設定の少ないキャラに自分好みの設定を盛り込む創作ジャンルである

→創作としての「愛」は「魅力的な設定を与えてあげること」

→アイデアが不足している、キャラに特徴がないのは「魅せたい設定が特にない」 

 →こう魅せたいというビジョンがない=愛がない

あとがき

長々と書きましたが、「別に好きにやればよくね?」で一蹴される内容かと思います()

こんなことばっか考えてるからいつまで経ってもアイデアが湧かないし、作品も完成しないし、クオリティも上がらないんだと思います…はい…

いい加減真面目に編集と物語の勉強しようかなと思います…

*1:最近だと兄弟分のソフトが増え過ぎたので、ニコニコだと『ソフトウェアトーク』なんて統一名称が使われています。youtubeだと全部ボイロで一括りですが

*2:紲星あかりは腹ペコキャラとか、琴葉葵はシスコンだとかありがちな物

*3:というよりはっきり言って上位の動画の設定は共通認識から逸脱した物が多い、共通認識遵守で物語を作って伸ばす方が難しいんじゃなかろうか

*4:最近では漫画など多媒体で描写が増えたのでこういった認識が古くなっているかもしれない

*5:というかそれ以外のキャラが皆これといった特徴もなく影が薄い……